こんにちは、えまです。
わたしは、義務教育以外は独学で英語を学んできました。
独学を始めたのは、19歳のとき。
大学受験に失敗して、何の目標もなく抜け殻のように過ごす毎日から抜け出したかったからです。
そして、生きていく上で「武器」になるような何かがほしいと思ったからでした。
特技があるわけでもない、夢中になれることもない、
そんな自分に何か1つでいいから誇れるものがほしかった。
それが、英語の独学を始めたきっかけです。
あれから10年。
途中で挫折もありながら、なんとか英語を学び続けています。
一方で、この間に日本人の英語を取り巻く環境は確実に変化しはじめました。
わたしがいちばん強く感じるのは、「早期英語教育への関心の高まり」です。
大きなきっかけの一つは、文科省の教育改革でしょう。
・小学3年生から外国語活動を実施
・小学5年生から英語を教科化
・大学入学共通テストへの英語民間4技能試験の導入(←延期されましたが・・・)
グローバル化(もはや死語でしょうか)の波も相まって、
「これからの時代は英語ができないと生き残れない」という共通認識が急速に広まった10年だったように思います。
その中で、いまの子どもたちの英語力の高さに驚かされることが多くなりました。
最初に気付いたのが、昨年英検1級を受験したときのこと。
事前に読ませていただいた数年前の合格者のブログには、
「英検1級の受験者層は高め。ほとんどが社会人で、50‐60代もいる。
たまに大学生がいるくらい」
といった記載がありました。
しかし、実際に試験会場に着くと、
1級の教室に小学生や中学生くらいの子がたくさんいたのです。
(※英検HPによると、1級の目安は「大学上級程度」とされています。)
ツイッターでも、中学生で英検準1級や1級に合格した!という報告を見かけます。
小学生で準2級や2級に挑戦している子も、今の時代は普通にいますね。
実際、小5の姪っ子も先日準2級に合格しました。
幼稚園の頃から英語を習っているので、発音もネイティブです。
さらに、YouTubeやNetflixの普及により、日本でも幼少期から”生の英語”に触れられる環境がかなり整ってきました。
「英語ができる子=帰国子女」の時代は、終わりつつあります。
今の子どもたちが大人になったとき、彼らの英語力は今の大人たちとは比べ物にならないほど高いでしょう。
(ただ、英語力の格差もさらに拡大するだろうと思います。)
ちなみに、英検準1級程度以上を取得している中学英語教員は38.1%です(文部科学省による2019年度英語教育実施状況調査より)。
「クラスの半分の生徒は、先生より英語力が高い」なんていう状況も、将来的にはあり得るかもしれません。
こうした状況が示唆するのは何かというと、
今後、英語ができることは「特別」ではなくなる
ということです。
中学で英検準1級に合格するような子たちが社会人になるころ、
彼らは当然のように英語を操るでしょう。
そして、わたしたちが費やしている莫大な英語学習の時間を、他の新しいスキルの習得に使っていきます。
わたしは、今の20~30代がやるべきことは、以下の2つのいずれか(または両方)だと思っています。
- 一刻も早く英語力をビジネスで使えるレベルに高めておくこと
- 英語以外に勝負できるスキルを身につけること
これまでは、英語ができることが「加点要素」でしたが、
これからは、英語ができないことが「減点要素」になります。
つまり、英語ができるという理由で優遇される時代は終わり、
英語ができないことによって肩身の狭い思いをする人が増えていくと思います。
英語ができない時点で一歩出遅れた状態になるので、
今の子どもたちと同じスタートラインに立つには、英語力を職場で使えるレベルに高めておく必要がありそうです。
「英語はあんまり..」
という場合は、英語以外で社会に必要とされる専門的知識・スキルを身につけるという選択肢もあります。
今はまだ、英語ができる日本人はそれほど多くありません。
「英語ができる日本人は今もたくさんいる」
という人もいますが、それは限られた環境での話ではないかなーと。
あくまでわたしの知る範囲ではありますが、
ネイティブの通常スピードの会話についていける人、彼らと英語で対等に議論できる人は、日本には滅多にいません。
・帰国子女
・幼少期に特別な教育(インターナショナルスクール等)を受けた人
・血の滲むような努力を積み重ねた人
のいずれかです。
でも、早期英語教育の広まりや生の英語素材(YouTubeなど)の普及により今の状況は徐々に変化し、
英語がめちゃくちゃできる人がそれほど特別ではない時代が来ると思います。
これまでの話をまとめると、
英語ができるからといって頭一つ抜け出せるという時代はそのうち終わる。
10~20年後もビジネスの第一線で活躍するためには
・英語力を一刻も早く仕事で使えるレベルに高める
・英語ができなくても問題ないくらいのスキル・専門知識を身につける
の少なくともどちらかに取り組む必要がある
ということになります。
***
冒頭でお話したとおり、わたしは英語を社会で生き抜くための「武器」にしたくて勉強し始めました。
しかし、10年後の今、
「この考えは甘かったな」
と思っています。
20年後、英語がある程度できるのは当たり前。
中学生で英検1級に合格するような、抜群に英語のできる子たちが社会人になる。
わたしが英語を学び続けても、
このような子たちが社会人になるころには、英語力では到底かなわないでしょう。
英語力を磨き続けても、それだけで一生安泰となるような「武器」にはならない。
10年前のわたしがこれを知っていたら、もしかしたら英語を勉強しようとは思わなかったかもしれません。
でも、今のわたしは、これからも英語を学び続けようと思っています。
その理由は2つです。
- 自分が目標とする英語力にまだ到達していないから
- 英語を学ぶこと自体が好きだから
まず、わたしの英語力はまだ、ビジネスで使えるレベルにありません。
だから、まずはこの地点に早く到達できるよう、引き続き努力していきたいと思っています。
翻訳力と英語力は別物です。
翻訳に必要な英語力は、読む力。
わたしはリーディングはそれなり(でもまだ十分でない)ですが、他の3技能はまだまだです。
でもこれは「英語ができないと10年後、20年後の社会を生き抜けないから」ではありません。
ただ、日本人として英語を自由に使いこなせたらカッコイイと思うから。
そして、英語を学ぶことがわたしの人生になくてはならない、大切な一部だからです。
先ほど書いたとおり、わたしたちには2つの選択肢があります。
1. 英語力をビジネスで使えるレベルに高めておくこと。
2. 希少価値のある他のスキルを身につけること。
英語は、日本人全員にとって絶対に必要、というわけではありません。
(もちろん、英語ができれば人生の選択肢は大きく広がりますが。)
英語ができないなら、他のスキルを伸ばせばいくらでも生きていけます。
たまに、「英語を勉強しなくちゃ」という義務感で苦しそうな方を見かけます。
英語が合わないなら、他の好きな道を探ればいいのではないか..とわたしは思います。
(余計なお世話ですが)
英語ができると、確実に世界は広がる。
その一方で、英語はサッパリだけれどとても視野が広くて、素敵な生き方をされてる方はたくさんいます。
大事なのは、「わたしたちは自分の生き方を選べる」という事実を忘れないこと。
そのうえで、英語を学ぼうと決めたなら、
誰が何と言おうと自分なりの方法とペースで、進んでいきましょう。
英語学習者に向けて、よく
・英語ができるだけじゃダメ。英語以外に何ができるかが大事。
・英語×〇〇を考えよう。英語に自分なりのスキル・個性を掛け合わせよう。
といったアドバイスを耳にします。
一見もっともですし、多くの人が賛同するのも頷けます。
だけど、わたしはこうした意見に共感することができません。
まず、ビジネスの現場で通用するレベルの英語力を身につけるのは、そんなに簡単じゃないです。
センスがある人は違うのかもしれないけれど、
わたしが10年の独学経験から学んだのは、英語は片手間では上達しないということ。
なにか他の勉強をしながら身につけられるほど、楽なものではありません。
こう言うと、
「英語で自分の身につけたいスキルを勉強すればいい」
と返されるかもしれません。
英語と他のスキルを同時に身につけて一石二鳥!というわけですね。
しかし、これができるのはすでにかなり高いレベルの英語力がある人です。
やってみればすぐわかると思うのですが、
わからないことをわからない言葉(英語)で学んだら、深く理解することができずストレスがたまります。
二兎を追う者..と言われるとおり、
”英語「で」学ぶ”のハードルは、結構高いと思っておいたほうがいいです。
一般に「英語ができる」と言われるCEFRのB2レベルに行くのは、普通の日本人には大変な苦労を伴います。
英語を学ぶ道を選んだのなら、
まずは英語に集中し、自分が納得するレベルに到達すること。
結局は、それが一番の近道ではないかと思います。
そもそも語学というのは大人が身につけるのは時間がかかるもの。
逆に言えば、語学が身につけられたのなら、その継続力や分析力、自己管理力を使って他のスキルはより速く習得できるはずです。
一生懸命英語を学んでいる段階の人に
「他のスキルも身につけないと!」とアドバイスするのは、
「英語を諦めろ」と言っているのと同じようなものだとわたしは思います。
そのアドバイスは、どちらかと言うと英語以外のスキルをすでに持っている人向けという気がします。
英語は、汎用性が高いことに違いはありません。
他のスキルと相乗効果を生みやすいことは事実です。
日本人は1億2千万人なのに対して、
英語話者は世界に約15億人いるとされています。
つまり、英語ができると相手(お客)の数が15倍になるということです。
英語ができたほうが、そりゃあいいですよね。
だから、「英語×〇〇が大事」という考えは正しいのだけれど、
1つめのスキルとして今まさに英語を学んでいる人向けではないと思います。
わたしがおすすめしたいのは、
・英語にそこまで労力をかけたくないなら、英語はすっぱり辞めて、他の自分に合ったスキルや知識を身につける
という方針です。
他のスキルは、英語を自分が目指すレベルに引き上げてから取り組んでも間に合います。
繰り返しになりますが、英語を使えるようになるまで努力できる人なら、他のことをやっても絶対頑張れます。
英語とは別のスキルの方が優先順位が高いなら、まずそちらを習得してから、英語に戻ってきてもいいと思います。
わたしたちは英語を学ぶかどうか選べるのだから、
あれもこれもと、変に焦らなくていいんですよ。
できることから、1つひとつやっていきましょう。
わたしも、まずは英語を頑張って一定のレベルまで上げ、そのあとに別のことを学びはじめようと考えています。
(英語はさぼると忘れるので、学習は継続しますが)
そして、何よりわたしが強調したいのは、英語を学ぶことそれ自体に価値があるということです。
・英語だけじゃだめ
・英語に他のスキルを掛け合わせよう
といった主張に違和感を抱くのは、
「英語を学んでも、経済的利益につながらなければ無意味」
という前提に基づいていると感じるからでもあります。
たしかに、英語ができることがそのまま高収入につながる時代ではなくなると思います。
英語=年収アップのツール
と捉えるならば、「英語だけではだめ」という結論になりますね。
でも、英語を学ぶ価値は、経済的利益だけではありません。
少なくともわたしにとっては。
たしかに最初は、英語を自分の強みにしたいと思って独学を始めました。
でも、この10年間で、英語に対する考え方が変わりました。
英語は、人との競争に”勝つ”ための道具ではないということ。
給料が上がるとか、好条件で転職しやすくなるとか、
英語を学ぶことで得られるメリットはもちろん魅力的です。
だけど先ほどから書いているとおり、将来的にはそういうメリットは小さくなっていくでしょう。
じゃあ、英語を学ぶ価値はないか?というと、そんなことはない。
英語学習は、確実に人を成長させるからです。
英語を始めとする語学は、基本的に「量」がモノを言います。
やればやるほど、力が付いていきます。(その「やる」ことがなかなか難しいのですが)
1年前は全然聞き取れなかった映画が、
今ははっきりと聞こえる。
沈黙ばかりしていたオンライン英会話で、
自分の意見が口から出るようになってきた。
まったく歯が立たなかったニュース記事が、スラスラ読めるようになってきた。
中学生みたいな作文だったけど、
ちょっと洗練されたエッセイが書けるようになってきた。
そうやって、少しずつ自分を成長させることこそ、英語学習の最大の価値であり、喜びだと思います。
特に、英語を話したり、書いたりする際に、自分の意見を考えるのはとても良いトレーニングになります。
「死刑制度は廃止すべきか」
とか、英検1級英作文の定番テーマなのですが、普段はあまり(というか全然)考える機会がないですよね。
オンライン英会話をしていても、
「良い上司とは?」とか、「仕事を選ぶ際に重視することは?」など、
日本語だけの環境にいるとふわっとしたイメージだけで済ませてしまうことを、しっかり整理するきっかけになると感じています。
これは、大人になってから”外国語”として英語を学ぶわたしたちの特権ではないでしょうか。
抽象的な思考を具体的なアイデアに下ろしてくる習慣ができるので、日本語でのコミュニケーションも円滑になるはずです。
仕事や家事・育児などの合間をぬって、英語学習に時間を割こうとすると、必然的にテレビやネットをぼーっと見ることもなくなります。
自分が日本や世界のことをなにも知らないことを知って、本や人から貪欲に学ぶ意欲もわいてきます。
なにより、英語を学ぶのは楽しいことです。
つらいときもあるけど、自分の成長を実感できたときはそれを忘れるくらい嬉しくなります。
そもそも、外国語を学ぶことって、本来は外国の文化とか歴史、価値観を知るためなのではないでしょうか。
「英語を学ぶとお金が稼げるよ!」
という動機はわかりやすく、人を惹きつけやすいので、英語教育業界が好んで使ってきたのだと思います。
それにある意味”洗脳”されてしまって、だんだん
「英語は年収を上げるために学ぶもの」
という考えがあたかも当然のように捉えられるようになったのではないでしょうか。
「英語だけじゃだめ」理論も、その延長上にあるような気がします。
でも、言語を学ぶ本質は、
『自分が当たり前だと思っていた価値観から解放され、自由になること』
だと思っています。
言語は、その国や、そこで暮らす人達のことを知るための入口。
人間としての幅を広げ、より自分らしく生きるために学ぶものです。
別のスキルを掛け合わせるまでもなく、それだけでものすごい価値のあることなんです。
英語が「武器」になるかどうかなんて、どうでもいいこと。
これからも、もっと成長した自分を見るために、広い世界を知って自由になるために、英語を学んでいこうと思います。