こんにちは、えまです。
英語学習と関係ないようで意外とあるかもしれない「劣等感」。
実は、わたしが英語学習を始めたのは劣等感がきっかけです。
- 英語学習を通じて劣等感は消えたのか?
- なかなか消えてくれない劣等感はどうしたらなくすことができるのか?
今日はそんな話をしようと思います。
劣等感のきっかけは大学受験での挫折
わたしが大きな劣等感を抱えるようになったきっかけは大学受験での挫折です。
高校に入るまで、それほど勉強に熱心に取り組んでいたわけではありませんでした。
しかし、そのころふと思ったんです。
「わたしは可愛くないし、性格も根暗。これといった特技もない。
大人になったら、どうやって生きていけばいいのだろう?」
(この時点で劣等感があふれてますが…(^^;)
そこで、
「どうせやるなら一番を目指そう!」
と思い、無謀にも東大を目指すことにしました。
倫理の授業が好きだったので、文学部に進んで哲学の研究者になりたいな…
という(これまた無謀な)目標を立てたのでした。
予備校には通わずお年玉で参考書を買い込み、自分なりに一生懸命勉強しました。
しかし、成績は思うように上がってはいきませんでした。
またこの時期、過敏性腸症候群の症状が強く出るようになり、ひどく悩みました。
東大には、センター試験で足きり(=一定の点数に届かなければ、二次試験に進むことができない)の制度があります。
センター試験の自己採点の結果、足きりに引っかかりそうな点数だったので、
東大は諦めて他の大学に出願しました。
浪人は考えなかったのか?と思われるかもしれませんが、
あと1年受験勉強にかけるだけのエネルギーが私には残っていませんでした。
高校3年間を勉強に捧げたわたしに残ったのは
「自分は何もできない人間なんだ」という強い劣等感
だけでした。
引きこもり生活からの脱出
春になり大学生活が始まっても、わたしの心が晴れることはありませんでした。
むしろ、日を追うごとに
わたしはこんな大学に入りたいわけじゃなかったのに。
こんなことなら大学受験なんてしなければよかった。
と、受験失敗によって強まった劣等感に押しつぶされていました。
また、根っからのコミュ障なので社会に出る不安もありました。
「学歴」という武器を手に入れ損ねたわたしには、もう何もアピール材料がないように思えたのです。
人生、終わった・・・
という絶望感で、部屋にこもって泣いてばかりの日々を過ごしました。
某巨大掲示板の学歴板を眺めては、さらに傷つき落ち込むという救いようのない毎日。
それが半年ほど続いたのですが、さすがに泣くことにも疲れてきたのかもしれません。
何にも武器がないなら、これから何かひとつでも作れないか?
そう考えて、唯一思いついたのが、英語でした。
といっても、
中学3年でやっと英検3級をとって、
高校では英語の基本は身に付けましたが(センターは筆記が187/200点、リスニングは忘れました)とくに自信があるわけではありませんでした。
受験勉強を通じてリーディングは多少できるようになりましたが、
リスニングはできない、英作文はできない、話すなんてもってのほかです。
進学先も法学部。
世の中には帰国子女もいるし、留学経験者もいるし、幼い頃から英語を習っている人もいるし、それまでは英語を武器にするなんて考えたことはありませんでした。
でも、高校時代には勉強しかしてなかったし、
勉強の中で将来に役立ちそうな科目といったら・・・
英語しかない!
と思ったんですね。
それに、英語はなんとなく好きでした。
他に得意なことがあればそれを選んでいたと思いますが、何もなかったので、英語を頑張ってみることにしました。
英語で劣等感は消えたのか?
長くなりましたが、これが私の英語学習を始めたきっかけです。
で、英語を武器にするために頑張って劣等感は消えたのか?ですが、
劣等感は消えませんでした。
TOEIC990点とっても、英検1級とっても、翻訳者になっても、
劣等感は消えません。
なぜか?
自分より英語ができる人は、星の数ほどいるからです。
「劣等感」を辞書で引くと、
自分が他人より劣っているという感情
とあります。
だから劣等感って、
自分は誰よりも優れていると思えないかぎりは消えないんです。
でも残念ながら、誰よりも優れるなんて無理です。
考えるまでもなく、世の中にはすごい人がたくさんいます。
英語について言えば、どんなに頑張ってもネイティブスピーカーには追い付けません。
ノンネイティブでも、英語の達人は数えきれないほどいます。
英語を頑張っても、劣等感は消えませんでした。
劣等感をなくすコツ
世界一の天才にでも生まれ変わらない限り、劣等感は消えません。
だからもう、劣等感を消すのは諦めました。
その代わり、劣等感を忘れて生きていく方法は見つけました。
それは
自分の持っているものを最大限活かすことに全力を注ぐ
という生き方です。
人が劣等感に苦しむ根本的な原因は、他人との比較です。(優越感が生まれるのも同じ原理ですね。)
私は●●より可愛くない。
私は●●より仕事ができない。
私は●●より年収が低い。
私は●●よりモテない。
私は●●より学歴が低い。
私は●●より英語力が低い。
・・・
・・・
と、挙げればキリがありません。
もしもこの世に自分一人しかいなかったら、劣等感は生まれないでしょう。
劣等感は自分と比較する「他人」がいてこそ生まれる感情だからです。
でも、この世には、たくさんの人が生きています。
だから、劣等感が生まれます。
人間は「比較」が大好きな生き物なので、劣等感は簡単に生まれます。
じゃあ劣等感から解放されるにはどうしたらいいのか?
というと、
劣等感を丸ごと受け入れる
しかありません。
優秀でない自分を丸ごと認める。
特別な才能がない自分を丸ごと認める。
人より劣っていて何がいけないのでしょう?
そもそも、その「人」って誰なんでしょう?
世の中に自分と同じ条件下に生まれてくる人間は存在しません。
頭の良さ、顔立ち、運動神経、体質、親の経済力、家庭環境、生まれた土地 etc.
神様は、一人ひとりの人間に全く異なる条件を与えてこの世に送り出しています。
これらの初期条件は自分では選べません。
スタート地点でなにもかもが違うのに、
自分と「人」を比べるなんておかしいと思いませんか?
誰かと比べて劣っている自分を責めるなんて、無意味だと思いませんか?
他人なんて、言ってみれば違う生物です。
たまたま「人間」というカテゴリーに入れられてるから分かりづらいだけで、
比較するにはあまりにも相違点が多すぎます。
これだけ前提条件が違う者同士を比べて、勝った負けたと騒ぐことに何の意味があるのでしょうか。
「自分とチンパンジーを比べること」と「自分と他人を比べること」はほとんど同じです。
もう誰かと自分を比べるのがばかばかしくなりませんか?
他人より劣っていてもいいんです。
大事なのは、自分のベストを尽くしているか。
わたしはずいぶん時間がかかりましたが、この考えに至って気持ちがラクになりました。
才能のない自分をやっと受け入れることができたと同時に、
とことん自分の力をどこまで伸ばせるかに集中しようと思えたのです。
自分が持っているものも思い浮かべてみました。
命がある、家族がいる、住む場所がある、きれいな水が飲める、ごはんが食べれる、考えることができる、文字を読める、仕事がある、ある程度の英単語と文法を知っている・・・
「自分には何もない」と思ってたのは、これらのことを当たり前のものだと勘違いしていただけです。
これまでの人生の中で与えられた知識・経験・環境・感情のすべてを使って、
死ぬまでにどれだけ自分のエネルギーを使い果たせるか。どれだけ成長できるか。
人生はただのゲームだって言ってた人がいましたが、まさにそうですよね。
どれだけ自分のレベルを上げられるか、自分との勝負です。
劣等感を燃料にして頑張ることもできるのですが、
そのエネルギーは必ず枯渇します。
なにより楽しくありません。
劣等感もコンプレックスも、すべては比較の産物です。
自分のことだけに集中していれば、そうした負の感情に支配されて苦しむ暇がなくなります。
凡人に周りを気にする時間はありません。
それに、広い宇宙から見たら人間同士の違いなんてどーーーーーだっていい塵のようなもの。
あの人と比べて自分は劣っている!なんて、そんなちまちましたこと考えてどうするの?
ってことです。
自分の持っているものを最大限に活かすことに全力を注ぐ
これが、劣等感やあらゆるコンプレックスから解放され、幸せな人生を送る方法です。
どうやって「活かす」のかは人によって違えど、
人生でやるべきことって究極的にはこれだけじゃないでしょうか?
劣等感を消そうとしなくていいから、
劣等感を忘れるくらい自分の人生に夢中になりなさい。
一度しかない人生、楽しく生きればそれでいい。
いまの自分にできることを1つずつ、焦らずやっていこう。
10年前に戻れるなら、こんな言葉を自分に掛けたいなと思います。