えまのプロフィール&英語学習歴

はじめまして!
このブログを書いている、えまと申します。

当ブログをご覧くださり、ありがとうございます。

このページでは、

・簡単なプロフィール
・英語学習歴
・このブログの目的

について書いていきます。

簡単なプロフィール

関東在住の30代。大学卒業後、事務の仕事を経て社内翻訳者として働いています。

◆英語の資格
TOEIC990点、英検1級

◆どんな人?
・おうちが好き。
趣味は読書、映画、音楽鑑賞です。

・テイラー・スウィフトが好き。
ファン歴10年以上になりました。テイラーの曲を聴くと元気になれます。

・ずぼら。
A型なのに(?)大ざっぱでめんどくさがりやな性格。

こんな私ですが、ブログは一生懸命書いていますので、どうぞよろしくお願いします!

えまの英語学習歴

公立中学・高校で授業を受けたあとは、
基本的に独学で英語を学んでいます。

大学2年の夏に1か月間イギリスでの語学研修に参加しましたが、
海外居住や長期留学の経験はありません。

英語の勉強法や教材を調べながら、手探りで勉強してきました。

25歳のときにTOEIC990点を取得。

その半年後、翻訳の仕事ができる会社に転職しました。

英語を使えるお仕事に就けたことは嬉しかったのですが、
同時に自分の英語力の未熟さを思い知らされました。

わかってはいたけど、
まだまだ実力不足だなぁと落ち込むことが多かったです。

その一方で、

英語を自由に使いこなせる人になりたい

という気持ちが一層強くなっていきました。

そこで、これから充実した30代に向けて
もう一度、英語を本気でやり直そう!
と考えているところです。

わたしの英語学習歴は、ざっくりとこんな感じです。

以下では、わたしが英語の独学を始めたきっかけや翻訳のお仕事に就いた経緯など、さらに詳しくお話させていただきます。

もしよろしければ、お付き合いください😊

英語学習のきっかけは大学受験での挫折

わたしが生まれ育ったのは、外国人もいなければ英会話スクールもない田舎です。

中学から英語の授業が始まりましたが、教科書の音読をするときはいつも口パクしていました。
「英語を喋るのってなんか恥ずかしい」という感じでしたね。

そんなわたしが英語に取り組もうと思ったきっかけは、大学受験での挫折でした。

「東大に行こう」と一念発起

中学では、勉強はあまりやらず部活ばっかりしてました。

高校は公立の進学校にギリギリ滑り込んだのですが、
そこで周りの優秀さに圧倒されました。

都市部から来た子たちは、勉強に対する意識からして違ったんです。

わたしが通っていた田舎の中学では勉強ができる子を「ガリ勉」とか言ってからかう風潮があったのですが、高校では勉強ができる子がクラスの中心的存在になりました。

これはほんとにカルチャーショックでしたね。

そうした環境のおかげで、ようやく勉強を真剣にやってみようと思うようになりました。

そして「どうせ頑張るなら1番を」と思い、東大を目指すことにしました。

英語に関しては、中3でやっと英検3級に合格したレベル。
苦手意識もないけど、得意でもない…という感じでした。

高校では、以下の3つの学習を中心に取り組みました。

・単語の暗記(約4000語)
・文法
・教科書の全文和訳

予備校には通わなかったので、教科書や市販の参考書を使っていました。

典型的な学校英語ですが、リーディング力だけは伸びたと思います。

センター試験で失敗

大学受験の結果は「惨敗」でした。

思うように成績が上がらず、東大なんて全然手が届かなかったですね。

正直、自分が情けなさすぎて…
あの頃のことは、今も思い出すと苦しくなります。
人生ではじめての大きな挫折でした。

東大にはセンター試験で足切りされそうな点数だったので、
結局他の大学に出願。

元々は文学部に興味があったのですが、
「つぶしが効きそうだから」という理由で法学部に進学しました。

暗黒のキャンパスライフ

第1志望の大学に入れないなんて、よくある話だと思います。

でも、高校生活をすべて勉強に捧げたわたしにとっては、目の前が真っ暗になるほどの出来事でした。

東大に行きたい一心だったわたしは、大学に行く意味を考えたことがなく、将来の目標もビジョンもなにもありませんでした。

今思えば、これでは受からんよなぁと思いますが…

「わたしは何のために生きてるんだろう」

と心にぽっかり穴が空き、何もやる気がおきない日が続きました。

4月になって大学生活が始まっても、帰宅すると「こんなはずじゃなかった」と泣いてばかりの毎日。
ひどいときは電車の中でも突然涙が止まらなくなったりして…
暗闇の中にいるようでしたね。

大学1年の冬に英語の独学開始

ゴールデンウイークが終わったあたりから、家に引きこもりがちになりました。
一日中、ネットやテレビを眺めることが多かったです。

すっかり廃人と化し、大学1年の冬を迎えました。
まだ立ち直れていませんでしたが、「このままじゃやばいよな…」と焦りを感じ始めてきた頃。

ある新聞の相談コーナーで、
「第一志望の大学に落ちて私大に通っているけど、前向きになれない」
という相談が目に入りました。

自分とかなり境遇が似ているので興味を持ち、
その記事を食い入るように読み始めました。

回答者は心療内科医の海原純子さん。

与えられた場所で自分にできることを精一杯やれば、周りには評価されるかわからないけれど、少なくとも自分の納得する人生を送ることはできます

という趣旨の回答をされていました。

「少なくとも自分の納得する人生を送ることはできる」

この言葉は、それまで他人の評価ばかりを求めてきたわたしの胸に、深く深く響きました。

かっこ悪くてもいいじゃん。
今、自分にできることを何かやってみよう。

海原さんの言葉に背中を押され、何をしようか考えた結果、
英語の勉強をしようと決めました。

英語を選んだのは、
英語だけは受験勉強がそれほど苦ではなかったことと、
英語を勉強しておけば何かしら将来に役立つかなと思ったからです。

英語の勉強法をネットで調べ、一から計画を立てました。

大学2年の夏休みには、イギリスで1か月の語学研修にも参加。

それまで英語を口に出したことすらほとんどなかったのに、
「海外に行けばなんとかなるかも」という意味不明な期待で胸を高鳴らせていましたが…

当然のことながら、わたしの英語はまったく通じず、先生や他の留学生の英語もなにもわからない。

話しかけられるのが恐怖となり、休日は自分の部屋から出ませんでした。

高いお金を払って引きこもるなんて、ありえないですよね…

何やってんだ!と思いますが、当時はもう外人が怖くて仕方ありませんでした。

こうして人生2度目の挫折を味わい、そのまま帰国。

イギリスでの反省を踏まえて計画を立て直し、
毎日1~3時間くらい英語に取り組みました。

発音はなんとか外国人に通じるレベルに改善されました。

また、大学3年の春に受けたTOEICは950点。
思っていたよりはるかに高得点だったので、調子に乗りました。

TOEIC950点でも英語を使う仕事はできない

就職活動が本格化してきた大学3年の秋。

面接練習の相手をしてくれた先生からは、TOEICスコアを見て
「英語を使う仕事をしようと思わないの?」と聞かれることもありましたが、それは考えていませんでした。

英語が話せない・書けないからです。

先述のとおりTOEICでは高得点を取っていましたが、スピーキングとライティングは全然上達しないままだったのです。

だから「自分の英語力は仕事では通用しないだろうな」と感じていました。

スピーキングに関しては、大学時代に瞬間英作文に取り組んでみたこともありました。

しかし、何度やっても続きません。1週間も続かなかったと思います。

というわけで、わたしは大学卒業時点でほとんど英語が話せませんでした。

しかも、就職をきっかけに英語をさぼりがちに…

社会人生活と初めての一人暮らしにてんやわんやの時期は仕方ないと思いますが、仕事に慣れてきても、なかなか英語の勉強に身が入りませんでした。

仕事で英語を使うこともなかったし、それでなんとか毎日過ごせていたので「まぁいっか」という感じです。
田舎から東京に出てきて、完全に浮かれてましたね。

でも、あるときふと

「このまま英語からフェードアウトしたら死ぬとき絶対に後悔するな」

と思ったんです。

自分でも理由はよくわかりません。
ただただ、英語ができないままの人生は嫌だと思ったんです。

大学受験に失敗してどん底のわたしを救ってくれたのが、英語だったからかもしれません。

そこで、社会人2年目の24歳から少しずつ英語学習を再開。

25歳のとき、TOEICで990点を取得しました。
このときは嬉しかったです。
「もうTOEICから卒業できる」という安堵もあったかもしれません。

ただその一方で、
「TOEIC満点ほどの実力が自分にはあるのか…?」
と素直に喜べない自分もいました。

語彙は少ないし、洋画は聞き取れないし、流暢に喋れない。

「TOEIC満点」のイメージと自分の実力があまりにかけ離れていて、このままじゃだめだということには薄々気づいていました。
ですが、その問題に真剣に向き合おうとはしませんでした。

そんな矢先、思いがけず人生の転機が訪れたのです。

パワハラで退職。翻訳の道へ

入社4年目に部署異動になったのですが、そこでパワハラ女上司と出会います。

異動して1週間も経たないうちに、人前で罵倒される毎日が始まりました。

罵倒されるだけでなく、
仕事の報告や相談をしようと話しかけるといつも鋭い眼光で睨まれました。

わたしはその目に睨まれるとうまく言葉が発せなくなり、
それがさらに「使えないヤツ」という評価へとつながっていきました。

異動から1か月後にはご飯も食べれなくなり、
朝起きると体が鉛のように重く、人と会うのが怖く、顔がこわばって笑えない状態に。

毎朝、自宅を出ようとすると吐き気とめまいがしました。
「うえぇ~」ってえずきながら、這うように駅まで歩いていた日々は本当に辛かった。

同僚には「あれはパワハラだから気にするな」と理解してくれる人もいたし、
気遣ってくれる他の部署の先輩もいてすごく救われましたが、

それでも毎日大きな声で怒られ、睨まれ、
しまいには無視されると精神的にも身体的にも堪えるものです。

どうして朝8時から夜23時まで世界で一番嫌いな場所で、
やりたくもない仕事をしてるんだ?

と自分に対して疑問を感じていました。

そんなある日の通勤途中、道路に行き交う車を眺めていて

「もし飛び出してみたら、もう会社に行かなくてよくなるのかな…」

そんな恐ろしい考えが頭をよぎり、はっとしました。

ここまで来てようやく、
「この会社にいるのはもうムリ。転職するしかない」
と退職を決意。

わたしはそのとき人生ではじめて「自分は何がやりたいのか」を真剣に考えたのですが、

そこで真っ先に心に浮かんだのが、

英語を使って仕事をしたい

ということでした。

そうして転職活動を始め、いろいろな方にお世話になりながら
運よく翻訳のお仕事に就けました。

当時は「こんな上司の下に配属された私、運悪すぎ」と思っていましたが、今ではそのめぐりあわせに感謝しています。

もし平穏に過ごしていたら、一生英語を使う仕事に就かなかったかもしれないし、翻訳者にもなっていなかったと思うからです。

英語のプロに囲まれて、自分の未熟さを思い知る

転職してすぐに思い知らされました。

「私って英語できないんだな」と。

「TOEIC満点も取ったことだし、ちょっとは通用するだろう」
という天狗の鼻は、すぐにへし折られました。

たとえば、英訳のときに中学で習うような簡単な単語が思い出せないのです。

いちいち辞書で調べるので、いつまで経っても仕事が終わりません。

基本単語の使い方もわかっておらず、これもいちいち調べないと英文が作れない。

わたしはこんなレベルだったんです。

「英文を読んで、なんとなく意味が取れる」だけでは、英語でお金をもらうことはできないんだ…と実感しました。

同じ職場の先輩には翻訳歴20年以上という方も多く、

「本当に英語ができる人」との差をまざまざと思い知らされる日々です。

でもその一方で、
これまでは気づかなかった英語と日本語の奥深さ、面白さを感じる機会も増えました。

その中で、「これまで逃げてきたスピーキングやライティングもしっかりできるようになって、英語を自由自在に使いこなせる人になりたい」と強く思うようになり、英語を真剣に学び直すことにしました。

長くなりましたが、これが今までのわたしの英語学習の道のりです。

このブログの目的

このブログの目的は、2つあります。

1つは、私の英語学習や日々学んだこと・考えたことの記録を残すことです。

先ほども書きましたが、30歳というひとつの節目が近づいてくるにあたり、
「英語を本気で勉強したい」と強く思うようになりました。

このままの英語力で終わりたくないというのはもちろん、

「30歳までにコレをした!」と言えるものを何か1つ作りたいと思ったのです。

そして、何か1つ頑張るとしたら、私には英語しかないなと思いました。
ピンチのときに助けてくれたのが、いつも英語だったからです。

そして、その本気で取り組んだ過程を何か形にして残しておきたいとも考えました。
そうして作ったのがこのブログです。

2つめの目的は、英語学習に関する自分の経験を伝えることです。

わたしは、ずっと独学で英語を勉強してきました。
海外に住んだこともなければ、英語の専門教育を受けたこともありません。

また、わたしはずぼらかつ怠け者なので、
あまりストイックに物事に取り組めるタイプでもありません。

でもだからこそ、そんな自分がどんな方法で英語を学んできたのか、
今どんなふうに学んでいるのか、

その過程をシェアすることで同じように英語を学ぶ誰かの参考になるかも…?と思うようになりました。

実際にわたしの経験がお役に立てるかはわかりませんが、
このブログを通じて、他の英語学習者の方と交流できたら嬉しいです。
お気軽にコメントを残してくれたらとても喜びます。

ここまで読んでくださり、本当にありがとうございました。

英語の勉強、お互いがんばりましょうね😊